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タキネーの実験ブログ

人生初のブログです。健康と美容が大好きで体を張ってブログとの相乗効果を実験しています。座右の銘はアンチエイジングです。

父親の事〜人生の折り返しの年代になりました。

思い出の話

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みなさん、こんばんは。

タキネーです。

今日は僕の父親について話してみたいと思います。

どうしてかというと

今月に誕生日を迎え、また年齢を重ねました。

人生の折り返し地点

というくらいです。

ちょうど父親が僕を授かった年齢に近くなったので

書いてみたくなりました。

ずいぶんと高齢なんだなと(当時は)

そんなわけで

よければ聞いてください。

 

僕の父

僕の父はもうこの世にはいません。

25年前に他界しました。

享年55歳。

今思うと若いですね。

父は若い時に苦労をして目がほとんど見えない

状態でした。

最後の頃は働くこともしないで

お酒を呑んではその日を過ごしていました。

我が家の収入は母親のパートとわずかな

家賃収入でした。

生活は苦しかったです。

どれくらいかというと、子供の感じた例えですが

お誕生日会は無い。

クリスマスは無い。

お年玉は取り上げられる。

友達の家で出されるカルピスが濃く感じる。

そんな感じです。

 

反抗期

そんな生活で当然、僕はグレる。

ことも無く、子供心にしょうがないんだな〜

家は貧乏なんだな〜と諦めていて

わりと明るく元気に過ごしていました。

反抗期はもちろん無く、学校ではプロレスのマネを

したりアニメの話をしたりすることが好きな少年でした。

 

でも、父親に関しては

働かないで酒ばかり呑みやがって

母ちゃん、かわいそうじゃんと思っていました。

かと言って、かかっていく覚悟もなく

一度、生意気な事を言ったら顔がボクサーのように

腫れ上がるまで殴られました。

その頃も身体は小さく、大人には対抗なんて

できなかったです。

 

それは冬の夜に突然に。

父親の死。

中学生の時にそれは急に来ました。

 

夜、勉強をしていた僕が何かがガラス戸に

あたる衝撃音で教科書を読むのをやめました。

父親が階段から滑り落ち、リビングのガラス戸に

突っ込んで、血だらけで倒れていました。

声をかけたら、反応はしていましたが

出血が尋常じゃなかったです。

 

母親は働いているので居らず

僕は近所に住む、姉夫婦に助けを求めて走りました。

すぐに救急車が来て、緊急病院で処置をしましたが

その日の夕方に亡くなりました。

 

臨終の際なぜか、これで死んじゃうんだな。

と冷静になって最後の別れをしたのと

血だらけのリビングを片付けて

学校に行った記憶が今でも鮮明にあります。

 

人生変わっちゃったのかも。

借金を残し、死んでしまい

姉たちも応援するからと

大学に行ってもいいよと言われていましたが

母親に苦労をさせちゃうな〜と思い

商業高校に進路を変更して

卒業後は地元の企業に勤めました。

その後はいろいろあって今に至るのですが

(ショートカットします、また別の機会に)

 

父親の事、恨んではいないのですけど

何やってんだよ、とは思っていました。

みんなに苦労させて情けない。

なぜ、体が悪いのに無理をしたのかな、と。

法事の時もなんだかな〜と。

 

今になって分かったことがありました。

姉も今になって人から聞いて

ある事実があったと先日に電話で話して

くれました。

 

父親は目を悪くなり建築の仕事を辞めて

小さい貸家の家賃と雑貨屋で生計を立てて

いたのですが僕が産まれて

ある人にもう一度事業をしてみないかと

待望の長男に為にもう一度頑張ってみろと

煽られて、その気になって無理をしたらしい。

(この煽った奴ってのは、後に僕にも悪い影響を与えるのです)

 

性格がついその気になっちゃうタイプなので

頑張ってみたんですね。(似ているな〜)

でも、結果は残念なんですけど。

雑貨屋をやってれば早くに死ぬことも

なく、穏やかに余生を過ごせたんじゃないかと

思います。

 

聞いて驚きました。

それと同時に今までの気持ちは少し変わりました。

そんなことがあったんだな、と。

この年齢、40歳になって理解できるように

思えます。

 

僕ら夫婦には子供は授からなかったですが

この歳に待望の男の子が産まれたら

本当に嬉しいだろうなと。

この子の為に頑張ろうと思いますよ。

目がほとんど見えないのに、若くもなく

肉体的にも辛い仕事をもう一回しようと

する気持ちには敬服します。

でも、失敗するのですが。

 

父親にたいしての感情は変わりました。

自分には出来ないです。

キツイですよ、この歳でそれと障害もあって。

 

人生は何があるかわかりません。

ピンボールのように釘の位置や角度ように

ちょっとしたことで進む道は変わります。

今、こうしていられるのも両親の影響もあります。

良かったのか、どうかは分かりませんが

感謝をし、人生は面白いな〜と思わせてくれます。

両親が元気でいたら、地元の仙台を離れて

九州までは来ていないかも。

奥さんのサティコさんとも出会いは無かったです。

運命とか縁や、そんなものが関係しているのでしょうか。

 

今年の墓参りは今までの気持ちとは別で

それでいて自分の眼差しも穏やかになっているような

気がします。

 

では、このへんで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

いない両親の分まで

サティコさんの親を大切にしたいと思います。