タキネーの実験ブログ

人生初のブログです。健康と美容が大好きで体を張ってブログとの相乗効果を実験しています。座右の銘はアンチエイジングです。

年賀状の思い出 パート2

3学期の始業式。

教室に戻る途中、トイレへ行く。

用を足していると隣のはサッカー部のかっこいい学級委員とサッカー部を

途中でやめた横田くん。

(-_-)「カオルから年賀状来たが?」

(・ε・)「あ〜少女漫画みたいのな」

僕は横で「あいつ、全員に送ったのが〜」

(仙台弁で再現)

と聞き、また不思議に思いながら席に着きました。

席の斜め後ろくらいには「カオル」

僕はいつもの冗談めいた事は口にしても年賀状の事は言えませんでした。

そんな中、高校受験の日は近付き、クラスメイトは私立を合格したり

そうじゃなかったりと人生最初の試練を受けておりました。

僕も公立高校だけを受験し、「楽勝」(^o^)v

などと余裕ぶっこいておりましたが、解答速報でイージーミスしていたのが

分かり、相当ブルーになっておりました((((;´・ω・`)))

不安ばかりの頭を抱え、合格発表を見に行く途中

「お前、受かってたぞ!」と、同級生から言われてダッシュで志望校へ行きました。

「あ〜よかった」自分の名前を確認してとホッ (´・ω・`)=3 ほっとしたのを思い出します。

好きな「美鈴」も志望校に合格し、高校生になったら「RCサクセション」のライブへ

行けると胸をなでおろしました。

公衆電話から家族に合格したのを知らせ、その足で恩師の元へ。

学校には合格した多くの同級生が報告へ来てました。

「よかった!一番、心配してたわ」と担任の先生から言われたりして、

クラスメイトと喜びを分かち合いました。

来ていない友人を考えると、教室へ行った時はあんまり浮かれないようにしようと

思いました。

卒業式

あっという間に巣立ちの時です。

式は何回もリハーサルをしているので感動とかもなく

幼馴染の「ミカリン」が泣いているのを茶化したり、我が校のツッパリ軍団は

怖い体育の先生へお礼参りに行くのかなと友人とワクワクしてました。(そんなこともなく)

教室に戻り、担任の先生の挨拶が始まり

あーもう、本当に中学も終わるなと思っていた時

「高橋さん」と、先生が「カオル」を呼ぶ声。

どうしたんだろ?と、カオルは黒板の前へ

先生「高橋さんはこの度、茨城のアイスクリーム工場で働くことになります。

皆さんより、早くに社会に出るカオルさんへ〜〜〜〜」後半、終わりの方の記憶が無い

そうなんだ、カオル。

お前高校へは行かないんだ。

家のこと、なんとなく聞いていたような気がします。

でも、なんで先生はわざわざ皆の前に立たせたんだろ?

遠く離れるとしても。

カオルも何か話してました。

何を話したかは、今はもう記憶にはないです。

僕はその日、カオルに声をかけたのかな。

高校へみんなと同じように行きたかったんじゃないかな。

それとも、自分から働きたいと言ったのか。

あの時代は大体の中学生は高校に行きたいと願うのが多かったと思います。

みんなへ出した年賀状はそういう事だったのか。

 

もし、できるなら

あの頃に戻って、年賀状の返事を書きたい。

そんな事は出来るわけもなく。

年を重ねる毎にあの頃への想いは強くなります。

 

奇跡が起きるなら同窓会やクラス会に再会した時か。

住所などを交換できる機会があれば出そうと思います。

 

あれから20数年、カオルも40歳を超えてます。

優しい人と結婚して、幸せだったらいいのにと祈るしか

僕にはできませんが。

 

カオル、ごめんな。

返事出せなくて。

 

  終わりに

毎年元旦に我が家に届く年賀状は、奥さんには30枚〜40枚くらい。

僕は友人数名と車屋、眼鏡屋などのDM、ちょびっと(;゚∀゚)

たった数枚ですけど友人達からの手書きの一文には暖かみがあり、嬉しくなります。

 

人の縁って大事にしたいなと今更ながら思います。

と、相手有ってのことですから距離感というか程々の(^_^)

ネットもそうですね。

 

せっかく知り合いになったのですからね。

会社での人間関係も好き・嫌いではなく、ウマが合う、合わないにして。

苦手からの距離を置く、ようにする。

 嫌い、憎い、などの感情は持たないようにします。

むしろ、このダークサイドは疲れます(;´Д`)

いつものゆるゆるの、そんな、感じでこの年もやっていきたいなと考えております。

 

では、このへんで終わります。

ありがとうございました。

 

m(_ _)m

 

次からはまた、いつもの実験記事中心のグダグダなブログです。

(;゚∀゚)

今年も宜しくお願い申し上げます。